私の働いているホスピスは余命が3ヶ月と言われ、積極的な治療を必要としない(対象外もしくは拒否)する人が入所の対象になる。経営部は平均滞在日数を3ヶ月ぐらいにもって行きたいようだが、実際は21日。それも長期滞在者が平均日数を吊り上げているので、一週間以下の滞在者の比率はかなり高い。

夏とクリスマス前後は休暇をとるカナダ人が増えるので、在宅の介護がしやすいためか、ホスピスは暇な時期になる(在宅死をサポートできる家族の人数が増えるので在宅での死亡率が高くなる)。今年もそのようで満床10床のわがホスピスのベットが埋まったことが最近はない。しかし今年は何かが違う。出入りが激しすぎて、満床にならないのだ(ベットの回転率が高い)。先週は合計10人新しい患者がやってきて10人死亡退院をしている。その前は8人も死亡退院があった。このまま行くと平均滞在日数がどんどん下がっていく。経営部はそこを改善しようとしているけれど、、すぐには変わらない。スタッフの不満はどんどん大きくなるばかりだ。

先日亡くなったマリオ(仮名)がわがホスピスにやってきたのは7月10日。彼は私の勤務セット初日の12日に亡くなった。昼の12時15分だった。私はシフトを7時から始めるので、マリオとのかかわりはたった、5時間と15分。在宅が長ければ訪問看護のパリアティブティームから良い情報が得られるけれど、マリオは病院での長期闘病からここへ来たので、あまり情報がない。この日は50%以上が重症度の高い患者でとても忙しかった。マリオもそのうちの一人。奥さんが夜中も泊まっていたので、話をする時間はあった。でも私もマリオが今日なくなるとはまったく予測していなったので、もっと死期に近い患者と家族に焦点をあわせていた。

他の事で忙しくしていると、マリオの奥さんに”彼はもう死んだと思うから、看に来て”と呼び止められ部屋へ向かった。奥さんは正しかった。体位や顔を整えて奥さんが落ち着いたのを確認して外へ出ようとした時、娘さんとお孫さんが到着した。彼女は毎日の日課で来ただけで、マリオがなくなったことを母親から部屋の戸口で言われて、大きなショックを受けたようだ。戸口ですごい声で泣き出しショックで一歩も前へ進めない、”私はいつも何もかもに遅れてしまう!今回も間に合わなかった!”と。彼女の息子(孫)は母親(娘)の変貌に驚いたようで、ショックを受けている。今まで一度も会ったことがない家族。家族のニードがわからないし、家族側もスタッフを知らないのでケアの介入が難しい。ちょうどボランティアも帰ったばかりで私達以外誰もいない。

迷ってもいられない、この状況で何ができる?とカチカチと頭の中で考える。まず娘の最初の感情の波が引くまで何も言わずに待ってみた。声を聞きつけて、同僚が駆けつけてくれたので助かった。私達はまず、マリオは安らかにされていると伝え、お顔を見たいですか?怖かったら私達がついていますよと伝えた。孫はNo、I don’t want!と言い廊下の端の方へ行ってしまった。娘は母親に話しかけられても何も聞こえていないようで、うろうろしている。同僚が息子(孫)をテレビ室に連れて行って一緒にテレビを見るからと出て行ったので、私は娘と奥さんに集中できた。イタリア系の家族でとても感情的になっているので、べらべらしゃべるより、落ち着くまで見守った方が良いと思い、聞かれた事に答え、落ち着いた態度で接した。

娘はようやく自分を取り戻したようで、最後にパパがいたこの部屋の写真が取りたいと、涙を流しながら写真を撮ってお別れを言った。同僚はテレビ室でテレビを見ながら、死にについて(死とママが悲しんでいる)話をしていた。私は娘にGriefのハンドブックを渡し、子供のグリービンググループの情報、子供の特徴的なグリービングの仕方なども伝えた。

彼女達は遺体が搬送されるまでここに居たいと言い、次の2時間をホスピスで過ごした。帰るときはこんなすばらしいところで、すばらしいスタッフのケアの下でパパは亡くなって本当に幸せだ。You guys are excellent!と言って彼女は出て行った。

限られた時間や情報で自分達のベストを尽くしたつもり。もし、もっと関わる時間があればもっと良いケアができたかも知れないし、彼女達も心の準備ができたと思う。私のストレスも低かったと思う。でもこんな贅沢なことは言っていられない、いつ死がやってくるかわからないホスピス。リファーラルティーム(患者がホスピスの対象になるか判断するチーム、パリアティブの医師、CRN、MSWで形成されている)がいくら頑張ってもこういうことが起こりうる。ストレスの高い夏になりそうだ。

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