オリエンテーション最後の日に、どんな自分をホスピスへ持ってくるのか自分を表す物を持ってくるようにと言われた。私はHOPE(希望)と書いてある平べったく丸くてすべすべした石を持って行った。これはホスピスボランティアをしていた時、ビクトリアホスピスの3日間のワークショップでつくった物だ。この石はいつも机のキーボードの前に置いてある。

この石をみると、ボランティアをしていた頃を思い出す。カナダへ来て最初の一年はのんびりゆっくり過ごしていた。旦那に会ってカナダへ留まることを決め、看護師として働き出すことを決めた。そうしたら急に臨床が恋しくなり、こちらで看護師になるまで“タッチ”を失わないため、英語の実力を伸ばすため、こちらの医療を伺うための3つの理由で始めた。4箇所でボランティアをした中で、ホスピスでのボランティアは一際楽しく、学ぶこともたくさんあり、看護師になってからも続けた。医療者ではない立場でベッドサイドに行くことは大きな経験となった。違う立場から医療をみて、患者と家族の声を聞いた。この5年間で学んだことは今の自分の基盤になっていると思っている。“あなたは他の看護師と違う”よく患者や家族から言われるのは私のボランティアの経験からではないかと思っている。それにカナダで看護師になるまでつらかった時期もこの石をみると思い出す。良く頑張ったと自分にご褒美をあげたくなる様な気分になる。英語の試験をパスできなかったり、十分話せないことからつらい思いをしたことも思い出す。英語を第一言語としない者としての思い、外国人であることの思い(異国の地で暮らす)、そんなことも思い出す。だから自国の文化を重んじる移民の気持ちを理解できるのか、言葉の通じないイライラを感じることができるのかもしれない。そういう自分を私はホスピスに持ってくるのだと伝えたくてあの石を持参した。

私が石に書いた“Hope”は好きな言葉だ。よくホスピスで希望を持つことは死に逝くプロセスを否認していると勘違いされることがある。死を目の前にしていても人はまだ“生きている”ということを忘れがちだ。生きている限り人間は目標や希望を持ち続けるのだ。死に逝く病気だからといってこれを奪うことはできない。あまりにも不可能な希望(病気の治癒とか)を抱いている場合、修正を手伝う必要があるけれど、それ以外は希望を持つべきなのだ。そんな思いから書いた言葉が“Hope”だ。

みんないろんな物を持ってきていた。一人ずつその“物”について語り、涙ぐむ人もいた。みんないろんな思いがあってこの道を選んだことが伺えた。それを輪の中心にあるテーブルに集めた。とても素敵なエクサイズだった。