私たちが帰省するとき母はいつも朝日新聞英語版を旦那のために注文する。毎日英語で新聞が読めて旦那は大満足。母の心遣いにはいつも頭が下がる。

で、帰省のたびに旦那から浴びる質問、質問。いつも「どうして日本は、、、」と質問が始まる。例えば、どうして日本の警察は公判に入る前に多くのの情報を新聞に流すの?カナダでは事件の詳細はメディアに流れない。事実は当事者しか知らないことだから公判時の論点になるからだ。それなのに新聞には動機や使用された品の大きさや形、時間、被害者がどんな姿で発見されたか、どこで見つかったのかなどなど。それに加え「全面的に犯行を認めている」と被告が犯罪を認めるなんて信じられないと言う。旦那は弁護人はいないの?不利になるような発言は控えるように示唆されないの?と。そう言われればそうだ。おかしい。罪を犯した人でも法の基に公平に裁かれるべきだ。検察側と弁護側の公平さがあってこそ成り立つことだ。しかしながらマスメディア、もしくは社会からのプレッシャーでその公平さが維持されているのだろうか、と思う。

日本で亡くなった外国人の死亡の例があった。彼は裸で発見され、その内容が新聞に翌日報道された。裸で発見されたことで覚せい剤の使用やいかがわしいことをしていたなどその友人にとっては根も葉もないことを書かれたと感じたそうだ。白人にとって裸で寝ることは日常的なことで、異常な行為ではない。その情報が新聞に載ったのは詳しい捜査が行われる前だ。個人のプライバシーの侵害などのセンスも薄いと旦那は感じている。カナダでは人権を重んじる国なので、公開して良い内容とそうでない内容など警察個人の判断では流出できないようになっている。

外にでて改めて思う。先進国として他国と同様の刑法や刑事訴訟法があるのにマスメディアが絡んで公平さを失っているような、そしてそれを不思議だと思わず過ごす国民。125年前に明治維新に関わった人たちが今の日本をみたらいったいどんなことを思うのだろうか。

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