患者や家族から感動の言葉を学ぶことがある。

ALSの診断から急速に病状が変化していったマック。ICUに呼吸器の管理のために入院となった。しかしながら予後の悪さは確実。治療方針を決めるファミリーカンファレンスに私たちのチームが招待された。彼の気持ちはもうホスピスへ。

しかしホスピスベッドに空きはなく積極的な治療をやめて緩和治療のみとしてからも彼はICUに数日いた。たくさんのモニター類に囲まれた生活からモニターやベッドを囲む医療機器のないホスピスへの移行。不安ではないかと尋ねると

こんな高そうな機械だって、僕のALSを治してくれているわけでもなくALSの進行をモニターしているわけでもないのだから、僕にとっては意味のないことだよ、とさらっといいのけたマック。


ピッピといろんなことを計測することができるモニターたち。それをつけられることを喜ぶ人は果たしているのだろうか?不安定な状態の象徴のようなものだ。生死の境をうろうろしていることを示していることを本人はどう思っているのだろうか。きっとモニターの装着を喜んでいるのは、安心できるスタッフとそうしてもらっていると安心感をもてる家族だろうか。しかし確実な死を待っているマックにとってはまったく意味のないことだと知った。

高価な医療機器でさえ無用の長物となってしまう。その人にとっての意味を考えることは大切なことだと学んだ。

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