お久しぶりです。勉強に没頭中の割にはぜんぜんペーパーが進んでいない。5日前にフォーカスを180度変えてしまったから、また一からのやり直しなのだ、、、はは

と、気分転換に、、、

昨日はBrodyの誕生日でした。14歳になりました。背は旦那より高くなって、声変わりもして体格も男の子から男に変わって、まったく大きくなったものだと思う。彼に出会ったときは2歳半。美加と呼べずビーバと呼んでいた。彼は旦那と元奥が一緒だったことをまったく覚えていない。物心ついた時から私がいた。心優しい子で喧嘩とか暴力が大嫌い。母親の家ではなく私たちと暮らすことを決めたのもそれが理由だった。

最近、目立つようになったことがあった。人を無視するのだ。気に入らなかったら無視する。争いを避けるために、というひとつの方法かもしれない。しかしそれを私たちに対してされるとたまらない。で、誕生日の前日、些細なことで口論になった。とどめは無視。私や旦那が何を言っても無視するのだ。かーっとなった私は、親に対して尊敬することができないのなら出て行きなさい!と言ってしまった。そして本当に出て行ってしまった。初めてだ。2時間ぐらいたって彼は帰ってきたそうだ(私は夜勤に出かけたので、あとのことは知らない)。寒い中、近所を2時間も歩き続けたそうだ。頭が冷えて悪かったと、素直に謝ってきたそうだ。

しかし、話は続く。Brodyは私に愛されていないと思うと言う。その理由はなんと、私は絵里佳に靴や服を買うのに、一度もBrodyに物を買ったことがないからだ、と言う。ママ(実母)はいつもたくさんのプレゼントを買ってきてくれるのに、私はそうしない、と。彼のママは買い物好きで、シーズンごとにどっさりと服や靴、かばんにジャケットを買い込む人。子供たちのものも同様だ。こういう日常的なものだけではない。おもちゃも山のように買って来る人だ。AJとBrodyの部屋はいつもおもちゃで埋もれていた。無駄買いをしない私たちにしてみれば、買いすぎといえるほど。だから今まで一度も”買う必要がなかった”のだ。それに私はママのように”愛してる”と言わないし、ハグやキスもしないと。

旦那はじゃあ美加ママがおいしいご飯を作って、育ち盛りだからと誰よりも多く盛り付けをするのは愛じゃないのか?甘いものや炭酸飲料は体に悪いからと、健康的なスナックを用意したりするのは愛じゃないのか?ジャンクフードを買い与える方がよっぽど簡単なのにそれをしないのは何故だと思う?美加ママがいつも就寝時間になったら、テレビを止めて寝るように催促するのは、体を心配してるからじゃないのか?愛って言うものは物を買い与えることではないし、うわべだけの言葉で表すものではないと。それに美加ママは変わっていないよ。Brodyが自分から避けるようになったんだろう。愛って言うものは相互作用なんだよ。受身になってもらうだけじゃないんだよ。おはようも言わないような人がハグやキスがもらえるわけないよ、と力説したそうだ。Brodyはこれを聞いてとても驚いたそうだ。

子供ってこんなもんなのかな?今でこそ一緒に住むようになったけれど、2年前までは我が家と実母の間を一週間毎行ったり来たりの生活で私もパートの継母だったから。派手でうわべ人間の実母に比べられても仕方ないかね~とも思う。人間大切なものは失くさないとその大切さをわからないって言うけれど、子供のため、健康のためって思うような地味な、でも大切なものの価値って子供にはわからないものなのでしょうか。それと同時に価値観って育つ環境の影響が強いんだな、としみじみ思った。愛をプレゼントの量で測られていたなんて、まったく驚きです。

しかし、Brodyは言う。なんて言っていいかわからないけど、我が家の方が居心地が良いと。ママの家は自由がいっぱいあるけど、嫌いだと。朝食も夕食も一緒に食べない、それぞれが、自分の食事を勝手に作る家、テレビの時間もビデオゲームの時間の制限もなく、帰宅時間も就寝時間も決まっていない家、でも物だけはあふれる家。居心地の良さはやっぱり”愛”からくるのではないのでしょうか。いつかはわかってもらえることを信じて。

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