難しいと頭を抱えていた今期のコースも、なんとか一つ目のペーパー提出が終わりホッとしたところ。課題は5つの法律の中からひとつを選び、どういう理論が基本となって作られたか、そのためどういう影響がヘルスケアにでているか、看護はどうかなどということを書かなければならなかった。私が選んだのはカナダヘルスアクト、医療基本法みたいなものだ。掘り下げてみればみるほど、いろいろな現象が浮かびあがり自分でも満足いくものができた。

以前は仕事もせずブラブラしている人をみると、自分の意思で定職につかないのかと思っていた。貧困生活に陥るのはその人が自分の意思で勉学をおこたり、技術も習得せず、などと思っていた。しかし、最近は考えが変わった。 “ライフスタイルによる病気”という言い方がはやる昨今。肥満や喫煙、その人自身の責任しだいのように受け止められるが、そうではない。収益を目的とした広告や学校のカフェテリアでのジャンクフードの販売などは個人の責任ではない。もちろん意思が強い人にとっては広告が激しかろうと、健康的な選択をするだろう。しかし生まれた時から、虐待を受けて育ったら?親が教育の価値観を持たず、学校へ行くというチャンスがなかったら?避妊の教育を受けることなく若年のうちに妊娠してしまったら?環境因子により、貧困に追いやられる人もいる。それゆえ病気になる人もいる。環境因子は個人の責任ではない。社会が取り組んでいかなければならないことだ。

で、今日訪問で訪れた家は想像を絶するものだった。以前にも書いたがハイリスクな場所を断ることはできる。しかし危うそうなところを継続して訪れることもある。うわさには聞いていたけれどこれほどはと思う所だった。一人目は車庫に住んでいる。以前は浮浪者だったそうだが、、、。車一台入る車庫にベッドとテレビ、ユニットバスがあり、コンロが二つ置いてある。窓がないのだ。真っ暗な暗がりで彼は生活しているのだ。両足に転んでできた傷が一年近く治らない。その理由は合併症の多さだ。足への循環が悪いからだ。そして環境因子も高いだろう。松葉杖をつきながら自分で洗濯や清拭をすると言う。コンクリートの床にダンボールをひいて、清潔とはいえない環境だ。しかし病気のため細かく整理整頓。行き届いた掃除なんてものはのぞめない。週に何回かは食事サービスをもらっている。今日は日曜日。教会へ行きたいからできるだけ早く来てほしいと。教会へはハンディーダートという州の無料のお迎えバスサービスで行くそうだ。住んでいるところだけをみるとぎょっとする。しかし本人は気さくでかんじの良い方だ。彼だけではない、次の家も似たような状況で患者は良い人だ。そして次の次も、と毎日驚くような環境で生きている人々に出会う。

ああいうところに住んでいる人は自暴自棄なんていう思いはまったくな思い違いだと思い知らされた。ペーパーでも書いたのだが、貧困と病気のつながりはとても強い。発展途上国がその良い例だろう。しかしこの関係は発展途上国のものだけではない。資本主義社会の中でも注目されている。カナダもそのひとつだ。リサーチでその関連性は裏づけされている。収入が低くなればなるほど、慢性病が多く、病院の使用率も高まると。豊かな国の中でどうしてこのように差が出てくるかだ。国が豊かでも経済的収益はお金持ちにいくようになっていて、働き蜂以下には働いても働いても暮らしが楽にならないようになっているからだ。そして前回も書いたが国の生活保障が薄いと、働けなくなると(保障などがない仕事)かなりつらい生活になるのだ。今の職場に就職する時ある程度の心構えはあった。なんたって車の盗難一位なんてもらいたくない名誉をもつ街ですから。“その人の家へ行く”というのは本当にその人の生活のスナップショットを見るようなもので、病院で患者と会うのとはまったく異なる。教科書で読むよりずっとリアルだった。リアルすぎで今夜は心がざわついている。