ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

カナダでホスピス看護師をしています。2009年9月からバンクバーの某大学院 でMaster of Science in Nursing を始めました。End of Life CareのCNSになれるようにがんばります。半学生、半看護師の生活です。そして3児の母親でもあり、カナダ人の夫とは11年たっても熱愛中でごじゃいます。ブログに登場する人物名はすべて仮名です。

子育て

こそこそ続き

娘は隠し事が嫌いで何でもオープンで話したいという子だ。避妊薬のことも父親に話したいけど、どう思う?と相談されました。旦那がどう反応するかと思って最初は言わなくていいといっていましたが、結局話す羽目に。旦那は男同士でBrodyの面倒はみるからAJは私に任せると。旦那も私も避妊薬を私たちが出費しないことや外泊を禁止したことは子供にとって良いことなのか悩みました。周りの人にもアドバイスを求めました。

旦那が高校生の時、同級生の親が“悪いことをしてもらいたくないから”と通信販売カタログの下着と水着の部門をホッチキスで止めて見れないようにしていたそうだ。しかし彼は17歳の時彼女を妊娠させてしまい、責任をとり結婚、働くために中退、ということになったらしい。私も旦那も隠すことは防止につながらない、と性教育にはオープンな姿勢をとっていた。

宗教のため中絶を絶対勧めない人も多いので妊娠したら出産以外には選択がないという風潮が強い。そのためか宗教によっては処女が重要視され、結婚するまでは性交はもたない、と。そんな理由から早くに結婚するカップルも多い(娘の彼が宗教にこだわっている家庭で育ったらこういう問題は起こらないのに)。

旦那の友達は私たちに言った。避妊薬を購入することが親の義務かどうかはわからないけれど、彼女の弟は18歳で彼女を妊娠させ、今も代償を払っているから、そういう弟をみると避妊薬は買うべきって思うよね、と言った。カナダは子供が関連する離婚になると養育費の支払いがきちんと行わなければならない(裁判所に言われた額を支払っていなければ政府が直接給料から差し引くこともできる)。子供が大人になるまで責任から逃れることはできない。

人権、特に女性の権利も強い影響を与えている。コンドームは男側の防止策だ。もし男側が拒否すると女性側は望まない妊娠をしてしまい、被害者となる。女性が自主的に妊娠を防止できるという意味でも避妊薬は重要視されるのだ。

しかし、私はどうしても薬は病気の人が飲むもの、という考えが浮かんでしまう。アクティブに性生活を楽しんでいるのなら、わからない気もしないけれど、一週間に一度会うだけの生活なのに副作用の危険を選ぶなんて、、、私にはわからない。

お泊りのことも、相手の親が許しているなら、、、それにならって、とついつい許してしまう親が多いことも思った。よそはよそ。うちはうち、と言う考えが強いのでそれはなんとか押し切ったけれど。知り合いの中には15歳の息子にお酒を買う親がいる。15歳にしてアル中の症状を示している。親が買わなければ子供が自分で購入してトラブルになるからと。問題が起こる前にどうにかしたい、という考えの人もいるのだとも思った。しかし、これはどうも応急処置的にしか思えない。これが一番簡単な方法、みたいな。お金を上げる。買い与える。でも子供と向き合うというのが見当たらない。私としては子供たちと向き合って、健全な大人を育てること、それが大事なことだと思う。親が背を向けてどうするのだと。誰かが言った、いつか子供が感謝する日がくると。その日を信じて。

 

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こそこそ

親に隠れてなにをこそこそしてるんだ!なんて言葉は珍しくない日本。でもコソコソせず堂々とオープンすぎるのはどうでしょうか?

うちのお嬢様は昨日で17歳になりました。高校2年生です。ママの家から我が家に引越しして1ヶ月あまり。カルチャーショックの連発です。4ヶ月付き合っている彼がいます。地元の子ではなく車でハイウエイを飛ばして1時間のところに住んでいる子です(友達の友達で知り合ったとか)。週末になると長距離バスに乗ってお互いが行き来するというなんともけなげな関係で、彼は一生懸命バイトをして自分で車を買ってもっと頻繁に会えるようにしたい(16歳から免許は取れますから)とバイトにもせいを出している(AJはバイトを探している段階)のです。

で、先月彼女から避妊薬を買って欲しいと言われました。こちらでは妊娠防止には経口避妊薬が一番の選択です。コンドームは成功率が低く、どちらかというと性病防止という役目が強い(使用方法の教育が不足していると個人的は思うのですが)。避妊薬は保険外になるので高いです。オールAを取る賢い子です。避妊薬についてインターネットでよく調べて副作用など承知の上で飲みたいと。彼とそろそろかなと最近ずっと話し合っていて、彼の父親は彼のためにコンドームを買ってきてくれた、だから私たちの役目は避妊薬を買うことだ、と彼女はきっぱりと言うのです。そう堂々と話せることが理解できませんでした。私が日本人だからわからないのよ。こっちじゃ当たり前だわ、って。そういう理由で私を説得さすことはできません。長い話し合いの末自分のお小遣いで買いなさいとつき返しました。GPのところへママが連れて行ったらご親切に2ヶ月分の試薬までもらったそうで。すぐ飲むとわざわざ報告をしてくれました。

そしてその次は自分の誕生日だから彼の家に2泊していいかと聞かれました。避妊薬のことを父親まではっきり話したその上にこれか?!ときっぱりだめと言いました。そうしたらまるでロミオとジュリエットになったようにおいおいと何日間泣き過ごしたでしょうか。そしたら論文のように長々とこれは不当だと、手紙までいただきました。泊まると言っても彼の両親もいるし、部屋は別々だし、家が古くて床がきしむから、親の前でこそこそ密愛はしないとまで書かれていました。じゃあどうして避妊薬が必要なのか~!と鼻で笑うほどあきれてしまいました。

私はセックスを反対しているではありません。人間として愛し合っていれば当然の行為だと思うからです。でもまだ精神的にも経済的にも自立をしていない子供が、堂々と公言することなのだろうか?もちろん避妊は大切です。望まれない子供の出生ほど悲しいものはないから。でもそういうイッチョマエのことをするのなら、自分で自分の行動に責任を取れるようになって欲しいと思う。お金を出して欲しいとか、許可を親からもらわないければならないのなら、最初からするな!と言いたい。私としてはこそこそしてもらった方がずっと気楽だとも思う。それだったら真に自分の行動に自分だけで責任と取っているから。

結局お泊りはあきらめたが、本当に難しいと思う。文化が違うの一言では片付けられない。ちなみにブログに載せることも許可つきです。ほかの日本人ママがカルチャーショックにならないように教えてあげたら、だって!いったい最近の若者の思考過程がわかりませんわ。私の両親も同じようなことを思ったのかね~

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プレゼントは愛を表す?!

お久しぶりです。勉強に没頭中の割にはぜんぜんペーパーが進んでいない。5日前にフォーカスを180度変えてしまったから、また一からのやり直しなのだ、、、はは

と、気分転換に、、、

昨日はBrodyの誕生日でした。14歳になりました。背は旦那より高くなって、声変わりもして体格も男の子から男に変わって、まったく大きくなったものだと思う。彼に出会ったときは2歳半。美加と呼べずビーバと呼んでいた。彼は旦那と元奥が一緒だったことをまったく覚えていない。物心ついた時から私がいた。心優しい子で喧嘩とか暴力が大嫌い。母親の家ではなく私たちと暮らすことを決めたのもそれが理由だった。

最近、目立つようになったことがあった。人を無視するのだ。気に入らなかったら無視する。争いを避けるために、というひとつの方法かもしれない。しかしそれを私たちに対してされるとたまらない。で、誕生日の前日、些細なことで口論になった。とどめは無視。私や旦那が何を言っても無視するのだ。かーっとなった私は、親に対して尊敬することができないのなら出て行きなさい!と言ってしまった。そして本当に出て行ってしまった。初めてだ。2時間ぐらいたって彼は帰ってきたそうだ(私は夜勤に出かけたので、あとのことは知らない)。寒い中、近所を2時間も歩き続けたそうだ。頭が冷えて悪かったと、素直に謝ってきたそうだ。

しかし、話は続く。Brodyは私に愛されていないと思うと言う。その理由はなんと、私は絵里佳に靴や服を買うのに、一度もBrodyに物を買ったことがないからだ、と言う。ママ(実母)はいつもたくさんのプレゼントを買ってきてくれるのに、私はそうしない、と。彼のママは買い物好きで、シーズンごとにどっさりと服や靴、かばんにジャケットを買い込む人。子供たちのものも同様だ。こういう日常的なものだけではない。おもちゃも山のように買って来る人だ。AJとBrodyの部屋はいつもおもちゃで埋もれていた。無駄買いをしない私たちにしてみれば、買いすぎといえるほど。だから今まで一度も”買う必要がなかった”のだ。それに私はママのように”愛してる”と言わないし、ハグやキスもしないと。

旦那はじゃあ美加ママがおいしいご飯を作って、育ち盛りだからと誰よりも多く盛り付けをするのは愛じゃないのか?甘いものや炭酸飲料は体に悪いからと、健康的なスナックを用意したりするのは愛じゃないのか?ジャンクフードを買い与える方がよっぽど簡単なのにそれをしないのは何故だと思う?美加ママがいつも就寝時間になったら、テレビを止めて寝るように催促するのは、体を心配してるからじゃないのか?愛って言うものは物を買い与えることではないし、うわべだけの言葉で表すものではないと。それに美加ママは変わっていないよ。Brodyが自分から避けるようになったんだろう。愛って言うものは相互作用なんだよ。受身になってもらうだけじゃないんだよ。おはようも言わないような人がハグやキスがもらえるわけないよ、と力説したそうだ。Brodyはこれを聞いてとても驚いたそうだ。

子供ってこんなもんなのかな?今でこそ一緒に住むようになったけれど、2年前までは我が家と実母の間を一週間毎行ったり来たりの生活で私もパートの継母だったから。派手でうわべ人間の実母に比べられても仕方ないかね~とも思う。人間大切なものは失くさないとその大切さをわからないって言うけれど、子供のため、健康のためって思うような地味な、でも大切なものの価値って子供にはわからないものなのでしょうか。それと同時に価値観って育つ環境の影響が強いんだな、としみじみ思った。愛をプレゼントの量で測られていたなんて、まったく驚きです。

しかし、Brodyは言う。なんて言っていいかわからないけど、我が家の方が居心地が良いと。ママの家は自由がいっぱいあるけど、嫌いだと。朝食も夕食も一緒に食べない、それぞれが、自分の食事を勝手に作る家、テレビの時間もビデオゲームの時間の制限もなく、帰宅時間も就寝時間も決まっていない家、でも物だけはあふれる家。居心地の良さはやっぱり”愛”からくるのではないのでしょうか。いつかはわかってもらえることを信じて。

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家庭内暴力

最近身近なところで離婚が続いた。そのうち二件が家庭内暴力に関連して。そんなおかげでカナダで家庭内暴力がどのように扱われるのか知ったので、ここでちょっと。

家庭内暴力の通報で警察はすぐ飛んで来てくれる。よくあるのがことが大沙汰になったと通報したことを後悔する被害者が多い。すみません間違いでした、とつき返すわけにはいかない。そして被害者が「大丈夫です。私が間違えて通報しました」と言っても警察官自身が状況判断をして接触禁止令を出すことができる。7週間とか家に近づくことも許されない。だから例えば父親が子供や母親に暴力をふるい、接触禁止令を出されたら、父親が家から出なければならない。父親は親戚の家とか友人宅やホテル暮らしの7週間が待っているわけだ。これに反すると次の罰則が待っている。もちろん次の罰則も恐れず暴力がエスカレートすることもある。そういうケースのために子供連れで入れるシェルターも各市に備えてある。シェルターのセキュリティーは高く、簡単に訪れたりすることはできない。シェルターにはカウンセラーも常駐していて、心のケアやどんな保護が受けられるのか、離婚をした時にどんな権利が生まれるのかなどを丁寧に教えてくれる。

家庭内暴力の現場で通報せず、事後報告でも警察は動いてくれる。被害家庭の全員一人ずつと面接をして事情聴取後、逮捕とか接触禁止令の発令となる。面接官はトレーニングを受けた警察官だ。子供の発達段階なども踏まえてそのレベルにあった面接をしてくれる。

弱者が守られているのね、と安心する。

最近日本で続いた子供の虐待。カナダではこれもとても厳しく扱われている。子供の泣き叫ぶ声が続くのを聞きつければ警察を呼ぶのは市民の義務のようなものだ。暴力だけでなくニグレクトもだ。例えば学校の先生が異常に気づき通報すると、チャイルドサービスからカウンセラーが家の状況を見に来たり親と面接をしたりする。観察のポイントは安全な環境。衛生面、食物など生きていくために必要なものがあるのかなどだ。少しでも疑わしとチャイルドサービスによって子供は取り上げとなる。同僚でスエーデン出身の看護師がいた。彼女の母国ではサウナは赤ちゃんから大人まで楽しむものだが、カナダの公共の場では13歳以下の子供のサウナ使用を禁止しているところが多い。彼女の子供がサウナ中に痙攣を起こしてERへ連れて行った。痙攣は重篤なものではなくすぐ落ち着いたのだが、彼女を待っていたのは虐待の疑惑。子供をサウナに入れていたからだ。長く続く面接。私の文化ではこれは虐待ではない、と何度説明しても聞いてもらえなかった、と子供を危うく取り上げられるところだったとか。逮捕されることもなく子供と一緒に帰宅できたのだが、ひやひやする話だ。カナダは移民者でできた国。いろいろな文化が入り混じっている。日本では「しつけ」の延長線上、手や頭をパシっとたたいたり、声を上げたりすることを異常と思う人はいないと思うけれど、それをここですると「普通」とはとられないのでご注意を。

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子供と歩む

LDLearning disability)、ADHD (Attention Deficit Hyperactive Disorder)日本でも最近聞くようになった言葉、ここ北米では何十年の歴史のある言葉。LDは文字どおり学習能力に障害があること。ADHDADDとも呼ばれ集中力が欠落している。日本語で注意欠陥、多動性障害と呼ばれる。

Brodyが一年生の時、ADD (Hyperactiveの部分がない)ではないかと学校の先生から言われた。理由は授業中に落ち着きがなく席から離れ歩き回るからだ。そして学ぶことができないだった。早く医者にみてもらって診断してもらったほうが良いと言われた。その先生も息子のうちの一人がADHDで大変だたっからわかるんだとやけに親身になってもらった。LDADHDなどに診断されると政府から助成金が出て学校はそのお金でアシスタントティーチャーを雇ったり必要な用具が購入できるので、先生たちは躍起になって薦めるときもある。遅生まれの彼。他の子に比べてできないのは当たり前。シャイで甘えっこの彼はきっと学校の環境に慣れるにも時間がかかるのかも知れないとその年には何もしなかった。2年生の時は先生から「このままだと字も読むことができずに職にも就けない将来が待っているかも」とまで言われた。学校医師を通してテストをしてもらった。結果はネガティブだった。幼くテストをするのに不適応と数年待つことを薦められた。彼の落ち着きのなさは続き、不安的症状も示すようになった。学習はまったくできず。数のコンセプト、読みに必要なフォニックスがまったくできない。それでも学校の授業についていけるように家で手伝うが、とにかくわからないの連続。もの忘れもひどく規律も守れず4年生になるころには親子関係が壊れるのではないかと思うほどになった。3年生の終わりにADDが診断されLDは否定された。”親子関係”を大事にしたかった、そして新しい環境になじめず強い不安症状を示す彼をみて薬物療法を始めることに決めた。この時点で小児の精神科へ通うようになった。

薬物療法は驚くほどに効き、本人が一番喜んでいた。何でも薬を飲む前は頭の中がとにかく忙しく、やりたいことがたくさんあるのに手や体がついてこない感覚。薬を飲むとその焦りのような感覚がなくなるとか。4年生の時点でフォニックスを3回繰り返して教えたのにもかかわらずできない彼を「字を読むことができない」と私たちは決め付けそうになった。そしてシルバンラーニングセンターへ通うことを決める。学校とはまったく違った教え方でLDADDの子供たちに効果的な方法で教えるとか。1対1で教えるクラスなので授業料はとても高かった。でも彼のためと始めた私たち。そして一年半後現存のクラスのレベルにまで回復したのだ。それでも学校の授業は簡単ではなかった。こういう子供たちを集めたクラスに科目によっては振り分けられ特別な授業を受ける。しかしLDと診断されていなかった彼はずべての援助を受けることはできなかった。大体毎年クラスに4-5人同じような子供たちがいた。世界的に3-5%の子供たちがADHDがあると言われているが北米はもっと多いような気がする。そして6年生の時LDも診断された。マックスの援助が受けれるようになると、なんとも皮肉な結果だ。いくら薬を飲んでも集中力が100%健常人なみになるわけではない。書くことも心が先走ってきれいに書けない。書けないことで点を失う。タイプ(ラップトップ)の持込が薦められた。学校ではこういう子供たちの援助するコンピュータープログラムを使って学んだ。

とエレメンタリーはこれでよかった。手厚い援助を受けていた。しかし高校はこうはいかない。リソースティーチャーといわれる人は定員の10倍以上の子供たちを抱えている。予算が少なくアシスタントのコンピュータープログラムもない。授業は普通の授業とアダプティブプログラムとスペシャル教育というものがある。スペシャルはまったく違った内容のもので高校卒業と言ってもこの名がついてくる。これをもって大学や専門学校に進学することは難しくなる。アダプティブは普通教育と同等だが量が減るというものだ。量が減っても内容は同じなので堂々と高校卒業と言えるわけだ。ADHDがあっても医師や法律家になる人もいる。企業家やお偉いさんでもADHDを持っている人はたくさんいる。ADHDは頭のよしあしには関係ないからだ。で、BrodyLDの程度が軽くアダプティブをしている。昨年は「気分が乗っているときはかなりできるから普通のプログラムに入れるかも」とまで言われた。しかし、以前にも書いたが落とした科目は3つ。国語と社会はリソースティーチャーの手厚いサポートでぎりぎり終えることができたが数学はこの夏のがんばりにかかっている。根気がないのも病気の特徴だ。

毎日2時間じっくり付き合って復習。昨日やったことさえ覚えていない彼。九九を覚えていない彼は60割2も計算機を使わなければならない。そんな彼が分数の掛け算、割り算、方程式などをやるのだ。彼の記憶力は長期も短期も弱いことは医師からも言われている。そんな彼に数学ができるのだろうか、と私は強く疑問に思った。数学をやり続けてどんなメリットが彼にあるのだろうか、と思った。弱い記憶力、、、、スペシャル教育に数学だけ切り替えてもらったほうが良いのではないかと思った。オープンに彼にそのことを聞いてみると、「お母さん心配しないで来年度はもっとがんばってやるから。だって僕、進学したい。電気の学校に進みたいから。ここであきらめたら行けなくなってしまう。だからがんばりたいから。」って。はっとした。できない彼にイライラしているのは私。本人はできるようになりたいと思っているのだ。やりたくてもできないつらさを味わっているのは彼だ。私ではない。反省させられた。しかし、この気持ちさえ簡単に風化してしまうのが彼の持っている障害だ。家中に張られている覚書。それを見ることさえ忘れてしまう彼。親として彼と歩んでいくのも簡単ではない。自分を試されているそんな気分だ。

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家庭教師

Brodyの夏休みの宿題。月曜日から金曜日まで毎日4ページごとやっていかないと終わらない量だった。決まった計画がないとできない彼。わざわざカレンダーを作ってやらなければならないページ数まで書いてあげた。

おかげで計画通りに進んでいるようだった。しかし、よくよく中を見てみると飛ばしながらやっているのだ。もしくはやっていても答えは間違っていたり、、、。「だってわからないから」って、、、。そうだったらどうして大人かAJに聞かないの~?!と。

ということで先週から”今日の宿題”が終わると必ず3人のうち誰かにチェックしてもらわなければならない。

チェックだけなら簡単なはず、これが2-3時間1対1の勉強会になってしまうのだ。まったくといって良いほど一年間掛けて学んだことを覚えていない彼。とほほほ。。。。

旦那もAJも数学は苦手。自然と私が手伝うことが多くなる。これでも私の得意科目は数学だった。数学はまるでパズルのようでなんて面白いんだとゲーム感覚で楽しんだものだ。

しかし、彼に教えるのは簡単ではない。だってこっちの学校って学校が教科書を持っていて、学校期間中に生徒に貸し出す。だから教科書がない!?問題集にある説明だけでは不十分なことがたくさん。次にもちろんBrodyは英語で学んでいるわけで。英語と日本語の違いがある。二等辺三角形って何て言うの?「3分の1」て日本語では分数を下から読むのに英語だと「One third」って上から読むし、、、。一番つらいのが教え方が違うのだ。日本だったら方程式を使いこなすのに時間をかけたものなに、こちらではどうしてこの方程式が成り立つのかに重点が置かれている。ピタゴラスの定理?直角三角形の3辺の接する正方形の面積のこと知っていますか?直角に接する2辺に接する正方形の面積の和は斜面の辺に接する正方形の面積に等しいって。この方程式を進化させたルートを使っているものは使って記憶があるけど、いちいち三角形に接している正方形を書いて面積を計算してなんてやった覚えがない。こんなことの連続だ。

おかげで休みの日はみっちりと彼の家庭教師化している。やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあるのに!と思うのと彼の態度!すぐわからない、わからないと投げやりな態度に今日は切れてしまった。「今日も2時間もかけなきゃならないほど、、、私が仕事に行ったら1時間でいくら稼ぐが知っているの?!、、、(とここで我に戻り)でもね、あなたは私にとって大切な家族だから、グレード8を繰り返して欲しくないから。この問題集さえしっかりしたらちゃんと進級できるからがんばろう」と悪態つきそうになった自分を飲み込んだ。急に彼の態度が変わった。

やっぱり子供っていくつになっても気にかけてもらっていると感じないと駄目なのね、、、。もっとどれだけ愛しているか伝えなくっちゃと反省した日でした。

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