ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

カナダでホスピス看護師をしています。2009年9月からバンクバーの某大学院 でMaster of Science in Nursing を始めました。End of Life CareのCNSになれるようにがんばります。半学生、半看護師の生活です。そして3児の母親でもあり、カナダ人の夫とは11年たっても熱愛中でごじゃいます。ブログに登場する人物名はすべて仮名です。

大学院

看護倫理と政治

あーようやく終わった看護倫理と政治。長かったし思ったよりずっと重たいコースでした。半泣き状態で書いた最後の論文。終わってみれば結構良いとこついているじゃないの、と自分の論文にほれ込む(いつものことですが、そりゃ何か月もかけて書いていれば恋に落ちるというもので)結果はどうであれ、大変な満足感に浸っている今日。書いた内容はDevalued Population : Palliative care Patients。緩和ケア患者がシステムの中で差別(と言うとちょっとニュアンスが違いますが)されているかということ。積極的な治療(緩和化学療法や放射線療法)やDNRの説明と承諾のプロセスに医師の高い権威が患者の自己決定の意思より重要視されている側面、法制度の中で緩和ケア患者に不利な政策についてなど、高齢化する社会の中での緩和ケアのあり方などをまとめてみました。すべて仕事を通して経験したことから疑問がおきて追求していくうちに、政治や方針が深く関わっていることがわかり、医療が政治と強くつながっていることを改めて知りました。

で、最近受け入れた2例の患者さん。どちらも最近末期のがんだと判明した方でした。両人とも緩和化学療法待ちの方で、症状緩和目的の治療なのに、がんが治癒すると強く願っている。そんな中で訪問の緩和プログラムの登録とケアの開始と。両方とも難しいケースだった。なにせ症状が出てから診断までの期間が短く現実(末期のがんだと)を消化していくだけでも時間のかかる過程。それをサポートしながら迫ってくる最期に備えて準備を始める。信頼関係を築きあげながら。十分な時間を使って患者や家族の気持ちや現在の理解を、計画に組み込んでいく。反応をみながら消化できそうな情報をシェアしていく。時間も労力もかかる。こういう難しい会話でもしっかりと向き合える知識と経験が必要だ。政策やシステムの中で揺れ動く患者と家族の気持ちが伝わり心が痛む。これから続く長い旅の始まりを感じながら。

難しいけれどやりがいがある。やっぱりどこにいても緩和は良いな~、とホスピスを出て訪問看護を始めたことを心から喜んでいる。 

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カナダへ来て看護師になろうと決心して、TOEFLがパスしないとなれなくて、何度も挑戦して何度も落ちてつらい時期があった。周りから英語できるのに、どうして点が伸びないのかな?緊張しすぎなんじゃない?と言われていた。落ちれば落ちるほど緊張してしゃべれない、、、。これを突破しなければ先には絶対に進めない。横道もないまっすぐな道の大きな壁を前にして泣いていた。

今、同じ気分。

実は昨年5つ面接に落ちている。こちらの面接は面接官が24人いて回答を点数付けていく。点数を高く取った人が選ばれるのだ。だからどれだけ面接で質問されそうなことの下調べをして、面接中に自分を発揮できるかが大切なのだ。以前MIXIで外国で働いている人のコミュでこんな話があがった。日本人は90%から100%技術を習得するとその仕事を”できる”というけれど、北米人は50%程度できれば”できる”と言う、という話があった。それをまさに痛感する。面接は張ったりでも何でもべらべら喋り捲った(要点はついていなければならないが)方の印象がよくなるー>点があがる。ようは仕事ができなくてもできると言い切れる人や、うわべでもしゃべれる方が勝つのだ。

自分より仕事ができる人が仕事をとったのなら、私も満足するけれど、何ヶ月たっても50%の仕事もできていない人が選ばれたかと思うと、腹が立つ。狭い世界で働いているので見たくなくてもそういう後結果を知ってしまう。とても心によくない。

私を知っている人は”仕事ができるのに、仕事取れないね”と言う。英語が第二言語だから人一倍がんばりを見せないと対等になれないというのは十分に承知だ。つらいニュース(とってもらえなかった)を聞くたびに、自信をなくしていく。それでもマネージャーたちはあきらめずにどんどんアプライして面接慣れしなさい、と言う。でもTOEFLと同じように逆方向に行っている。2つの面接で面接官になった人が、前回よりずっと自信のないのが現れていたわよ、とまで言われた。今月末に面接がある。仕事関係ではなく大学院関係だが不安で不安でたまらない。

そんな時に大学のペーパーの結果が返ってきた。史上最悪の点。自分の英語能力の限界を感じる。”落ちなければいいのだから気にしない!”と言う人もいる。しかし学ばなければ大学院へいる意味はない、と思ってしまう。夢ばかり見ていて現実を忘れてしまっているのか、私は柳に飛びつこうとしている惨めなかえるなのか、、、。ひどい落ち込みだ。

旦那はそんなに何でもかんでも簡単にできてしまったら、楽しみもないよ。試練を乗り越えるから喜びも大きいんじゃないの?と言う。チャレンジ好きの自分の性格は承知している。しかしここまでのチャレンジは望んでいない。大学院なんてあきらめて、今の仕事で満足して(楽だし、楽しいけれど、チャレンジのある仕事がしたい)いれば、ストレスもなく子供たちともたくさん時間が過ごせて気楽なんだろうな~、と辞めてしまえ!なんて気持ちがわいてくる。行くところまで行って開き直るのも手かな~。心が強くないとこの国では生きていけない、そういうことかも。もっと若かったら、英語がもっとできたら、欲張りな気持ちは止みません。

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がんばりすぎ

缶詰していても結局ペーパーは期限どうりに書けず、延長願いへ。睡眠時間もそこそこで仕事へ行き、超忙しい仕事をこなし、、、結局体調を崩してしまった。これほど体がしんどいとメッセージを送ってきたのは本当に久しぶり。寝ても寝ても疲れが取れず週末になってようやく少し回復していきたように思える。年なんだから、、、若い時みたいに無理がきかないと思い知らされました。

で、何をそんなに熱気になって書いていたかと言うと、緩和ケア患者さんのヘルスケアへのアクセスについて書いていました。コンサルテーションの仕事を通して疑問がふつふつと沸き、調べていくうちに興味深いことにたどり着きました。ペーパーを書いている間に気づいたのだが政治ととても強いつながりがあるのだ、と。どうしてうちのHAが国全体の平均より、州の平均より、在宅とホスピスで亡くなる方が多く病院で亡くなる方の比率がだぜん低い理由もよくわかった。改めてシステムの基盤を作ったディレクターの才覚に感心させられた(同じ学部大学院の出身者。昨年は国レベルで表彰された方)。

がんや予後不良と診断され、最後をどうやって、どこで過ごしたいか、真の選択ができるためにはそれなりのシステムが整っていなければならない。そしてそのシステムは予算や政治、社会にも沿ったものでなければ成功にはつながらない。ここには詳しく書かないが大きなパズルの謎解きができたようで楽しんでしまった。

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缶詰

いつもながら、締め切りの前はいつもこれだ。オンラインだからと、仕事をフルタイム並みに入れたのが大きな間違い。特にこの2週間超忙しく、仕事でどっぶりと疲れ2時間集中できれば良いと思う程度しか勉強がはかどらない。その上先週末はカンファレンスで6日働いて一日休みなんて日本で働いていたときのようなハードスケジュール。疲れが蓄積して泣きそうでした。それでも週始めの一部目の締め切りに間に合い、ほっとする間もなく2部目をがんばっています(月曜日の夕方が締め切り)。集中力が途切れたので、気分転換に久しぶりにブログをと、書いています。

この2週間どんな仕事をしていたかと言うと、もちろん訪問看護をしていたが、その上コンサルテーションの休暇をカバーしてほしいと、頼まれ二つ返事で引き受けてしまったのが誤りだった。フルタイムの仕事。でも訪問のシフトが入っているので週に2-3日しかできないけれど良いかとマネージャーに聞いたら、それだけでも来てくれたら助かると言われた。しかし私が週に2-3日来るからと言って誰かが穴を埋めてくれるわけではない。だから5日分の仕事を2-3日で終えなければならないのだ。超過勤務は許されないので、時間きっちりに帰る私が毎日超勤。だってこなさないと患者さんがホスピスに行けなかったり、症状緩和ができなくてつらいなんてのをほっとけないからだ。そしていつもは緩和医師と仕事をほぼ二分するのに、緩和医師が急な理由で3週間休みを取ることになり私一人ですべてすることに、、、、。新患の紹介は一日2件以上はしない私が3件たまには4件も回って、こりゃ時間どおりに終わらないわけだ。その上今週はコンプレックスなケースが多くて、頭が爆発するかと思った。金曜日は新患が一人もなくフォローする患者もその日はなくて、今まで超勤した分を取り戻そうと、それはそれはゆっくりとした日をすごし足早に帰宅しました。夜はお友達の誕生日会で洒落たバーでひたすら食べて飲んで笑ってと楽しい夜をすごしました。今朝は寝ても寝たりないというほど、起きれなくてヨガをして目が覚めて現実帰り。朝からずっと机に向かっています。明日も一日缶詰でしょう。あー肩が痛い。

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貧困と病気

難しいと頭を抱えていた今期のコースも、なんとか一つ目のペーパー提出が終わりホッとしたところ。課題は5つの法律の中からひとつを選び、どういう理論が基本となって作られたか、そのためどういう影響がヘルスケアにでているか、看護はどうかなどということを書かなければならなかった。私が選んだのはカナダヘルスアクト、医療基本法みたいなものだ。掘り下げてみればみるほど、いろいろな現象が浮かびあがり自分でも満足いくものができた。

以前は仕事もせずブラブラしている人をみると、自分の意思で定職につかないのかと思っていた。貧困生活に陥るのはその人が自分の意思で勉学をおこたり、技術も習得せず、などと思っていた。しかし、最近は考えが変わった。 “ライフスタイルによる病気”という言い方がはやる昨今。肥満や喫煙、その人自身の責任しだいのように受け止められるが、そうではない。収益を目的とした広告や学校のカフェテリアでのジャンクフードの販売などは個人の責任ではない。もちろん意思が強い人にとっては広告が激しかろうと、健康的な選択をするだろう。しかし生まれた時から、虐待を受けて育ったら?親が教育の価値観を持たず、学校へ行くというチャンスがなかったら?避妊の教育を受けることなく若年のうちに妊娠してしまったら?環境因子により、貧困に追いやられる人もいる。それゆえ病気になる人もいる。環境因子は個人の責任ではない。社会が取り組んでいかなければならないことだ。

で、今日訪問で訪れた家は想像を絶するものだった。以前にも書いたがハイリスクな場所を断ることはできる。しかし危うそうなところを継続して訪れることもある。うわさには聞いていたけれどこれほどはと思う所だった。一人目は車庫に住んでいる。以前は浮浪者だったそうだが、、、。車一台入る車庫にベッドとテレビ、ユニットバスがあり、コンロが二つ置いてある。窓がないのだ。真っ暗な暗がりで彼は生活しているのだ。両足に転んでできた傷が一年近く治らない。その理由は合併症の多さだ。足への循環が悪いからだ。そして環境因子も高いだろう。松葉杖をつきながら自分で洗濯や清拭をすると言う。コンクリートの床にダンボールをひいて、清潔とはいえない環境だ。しかし病気のため細かく整理整頓。行き届いた掃除なんてものはのぞめない。週に何回かは食事サービスをもらっている。今日は日曜日。教会へ行きたいからできるだけ早く来てほしいと。教会へはハンディーダートという州の無料のお迎えバスサービスで行くそうだ。住んでいるところだけをみるとぎょっとする。しかし本人は気さくでかんじの良い方だ。彼だけではない、次の家も似たような状況で患者は良い人だ。そして次の次も、と毎日驚くような環境で生きている人々に出会う。

ああいうところに住んでいる人は自暴自棄なんていう思いはまったくな思い違いだと思い知らされた。ペーパーでも書いたのだが、貧困と病気のつながりはとても強い。発展途上国がその良い例だろう。しかしこの関係は発展途上国のものだけではない。資本主義社会の中でも注目されている。カナダもそのひとつだ。リサーチでその関連性は裏づけされている。収入が低くなればなるほど、慢性病が多く、病院の使用率も高まると。豊かな国の中でどうしてこのように差が出てくるかだ。国が豊かでも経済的収益はお金持ちにいくようになっていて、働き蜂以下には働いても働いても暮らしが楽にならないようになっているからだ。そして前回も書いたが国の生活保障が薄いと、働けなくなると(保障などがない仕事)かなりつらい生活になるのだ。今の職場に就職する時ある程度の心構えはあった。なんたって車の盗難一位なんてもらいたくない名誉をもつ街ですから。“その人の家へ行く”というのは本当にその人の生活のスナップショットを見るようなもので、病院で患者と会うのとはまったく異なる。教科書で読むよりずっとリアルだった。リアルすぎで今夜は心がざわついている。

福祉国家

カナダは医療と高校までの教育が無料なので、福祉国家と思っていた。税率も高く(収入にもよるが所得税は38%もつく)。生活補助を受けて生きている人もたくさん見受ける。定職にも着かず、ぶらぶらしている若者から壮年期の人たちを見かけることが多いので、”いたせりつくせりの国だから、働かなくても生きていける”と、努力しない人が多いのよ。そういう人に税金が使われて、間接的にお世話をしているみたいで正直いやだった。

昨今は医療費の増加、財政困難によりアメリカのように医療をプライベート化しようという話が頻繁に騒がれている。それに医療費削減の波は刻々と国民を襲っている。例えば訪問でジョクソウの包交に使用する物品は訪問看護師が持参していたが、今は2週間立つと患者が購入して準備しなければならない。もちろん全員が対象になるわけでなく、経済的理由があれば免除になるのだ。低所得者にとっては変わりはないがそれ以上の国民にとっては大きな違いだ。救急車の利用も自宅から施設(病院など)は以前より料金の請求があったが、それ以外は無料だった。ホスピスに入院している人が緩和目的で放射線療法を救急車を使って通っていた。しかしこれも患者へチャージさせるようになった。少しずつ静かに無料サービスがなくなってきている。

医療の有料化は医療費削減につながるのか? 有料化によって低所得者の医療へのアクセスが妨げられ、国民全体の健康指標が下がるのではないのか、という考えもある。医療というものを歴史的観念、公衆衛生の観念、社会哲学の観念、政治の観念から視察するとどうなのか、ということを大学院で学んでいる。文献から学ぶことは多い。統計学的にみても大変興味深い。

例えば、健康指標といっても平均寿命を使うこともあれば、新生児の生存率を使用することもある(他にもいろいろな指標がある)。発展途上国と先進国と同じ指標で比べても因果関係が浮き彫りにならないこともある。何を何の目的に比較しているのか注意しなければならないが、なるほどと感心するものがあるのでここに例としてあげてみたい。

例えば平均寿命の長さでは日本が一位だ。カナダはスエーデンの次で7位。巨大経済大国のアメリカは30位となる。しかし国民一人当たりの医療費の支出はアメリカがダントツの一位でカナダはカナダは5位、スエーデンは14位そして日本は20位だ(この結果は年度やどの機関が調査したかによっても多少の違いはある)。面白いことに費用と平均寿命は反対比例のようになる(先進国の間では)。アメリカの経済大国の名は誰もが知っている。しかし貧困層と高取得者の比率を比べるとこれまたアメリカが一番になる。福祉大国の北欧諸国は社会福祉費の高さで有名だ。そしてこれらの国は貧困の差が少なく健康指標も良い。雇用率、福利厚生、教育、犯罪率などで、アメリカ、カナダ、スエーデンと比べると、ゴールドメダルの多さはスエーデンがダントツだ。政治の傾向、社会福祉費の割合を比べると、カナダはお隣のアメリカの横に位置され、イギリスはカナダのお隣だ。とても驚いた。カナダは福祉国家の北欧からはとても離れた位置にいるのだ。

カナダの医療は無料だ。しかし病気になった時に援助してもらえる(生活に関して)額は低く、システムも手厚くない。国民の健康が基盤になっている国で長期的に健康がなくなると(病気になると)低所得者になってしまう図式が出てくる。日本のように生命保険に加入する人はとても少ない。”働けなくなった時”を真剣に考えている人はどれくらいいるのだろうか。マスメディアに踊らされず、国民すべてが真剣に考えなければならないことだと思う。

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