LD(Learning disability)、ADHD (Attention Deficit Hyperactive Disorder)日本でも最近聞くようになった言葉、ここ北米では何十年の歴史のある言葉。LDは文字どおり学習能力に障害があること。ADHDはADDとも呼ばれ集中力が欠落している。日本語で注意欠陥、多動性障害と呼ばれる。
Brodyが一年生の時、ADD (Hyperactiveの部分がない)ではないかと学校の先生から言われた。理由は授業中に落ち着きがなく席から離れ歩き回るからだ。そして学ぶことができないだった。早く医者にみてもらって診断してもらったほうが良いと言われた。その先生も息子のうちの一人がADHDで大変だたっからわかるんだとやけに親身になってもらった。LDやADHDなどに診断されると政府から助成金が出て学校はそのお金でアシスタントティーチャーを雇ったり必要な用具が購入できるので、先生たちは躍起になって薦めるときもある。遅生まれの彼。他の子に比べてできないのは当たり前。シャイで甘えっこの彼はきっと学校の環境に慣れるにも時間がかかるのかも知れないとその年には何もしなかった。2年生の時は先生から「このままだと字も読むことができずに職にも就けない将来が待っているかも」とまで言われた。学校医師を通してテストをしてもらった。結果はネガティブだった。幼くテストをするのに不適応と数年待つことを薦められた。彼の落ち着きのなさは続き、不安的症状も示すようになった。学習はまったくできず。数のコンセプト、読みに必要なフォニックスがまったくできない。それでも学校の授業についていけるように家で手伝うが、とにかくわからないの連続。もの忘れもひどく規律も守れず4年生になるころには親子関係が壊れるのではないかと思うほどになった。3年生の終わりにADDが診断されLDは否定された。”親子関係”を大事にしたかった、そして新しい環境になじめず強い不安症状を示す彼をみて薬物療法を始めることに決めた。この時点で小児の精神科へ通うようになった。
薬物療法は驚くほどに効き、本人が一番喜んでいた。何でも薬を飲む前は頭の中がとにかく忙しく、やりたいことがたくさんあるのに手や体がついてこない感覚。薬を飲むとその焦りのような感覚がなくなるとか。4年生の時点でフォニックスを3回繰り返して教えたのにもかかわらずできない彼を「字を読むことができない」と私たちは決め付けそうになった。そしてシルバンラーニングセンターへ通うことを決める。学校とはまったく違った教え方でLDやADDの子供たちに効果的な方法で教えるとか。1対1で教えるクラスなので授業料はとても高かった。でも彼のためと始めた私たち。そして一年半後現存のクラスのレベルにまで回復したのだ。それでも学校の授業は簡単ではなかった。こういう子供たちを集めたクラスに科目によっては振り分けられ特別な授業を受ける。しかしLDと診断されていなかった彼はずべての援助を受けることはできなかった。大体毎年クラスに4-5人同じような子供たちがいた。世界的に3-5%の子供たちがADHDがあると言われているが北米はもっと多いような気がする。そして6年生の時LDも診断された。マックスの援助が受けれるようになると、なんとも皮肉な結果だ。いくら薬を飲んでも集中力が100%健常人なみになるわけではない。書くことも心が先走ってきれいに書けない。書けないことで点を失う。タイプ(ラップトップ)の持込が薦められた。学校ではこういう子供たちの援助するコンピュータープログラムを使って学んだ。
とエレメンタリーはこれでよかった。手厚い援助を受けていた。しかし高校はこうはいかない。リソースティーチャーといわれる人は定員の10倍以上の子供たちを抱えている。予算が少なくアシスタントのコンピュータープログラムもない。授業は普通の授業とアダプティブプログラムとスペシャル教育というものがある。スペシャルはまったく違った内容のもので高校卒業と言ってもこの名がついてくる。これをもって大学や専門学校に進学することは難しくなる。アダプティブは普通教育と同等だが量が減るというものだ。量が減っても内容は同じなので堂々と高校卒業と言えるわけだ。ADHDがあっても医師や法律家になる人もいる。企業家やお偉いさんでもADHDを持っている人はたくさんいる。ADHDは頭のよしあしには関係ないからだ。で、BrodyはLDの程度が軽くアダプティブをしている。昨年は「気分が乗っているときはかなりできるから普通のプログラムに入れるかも」とまで言われた。しかし、以前にも書いたが落とした科目は3つ。国語と社会はリソースティーチャーの手厚いサポートでぎりぎり終えることができたが数学はこの夏のがんばりにかかっている。根気がないのも病気の特徴だ。
毎日2時間じっくり付き合って復習。昨日やったことさえ覚えていない彼。九九を覚えていない彼は60割2も計算機を使わなければならない。そんな彼が分数の掛け算、割り算、方程式などをやるのだ。彼の記憶力は長期も短期も弱いことは医師からも言われている。そんな彼に数学ができるのだろうか、と私は強く疑問に思った。数学をやり続けてどんなメリットが彼にあるのだろうか、と思った。弱い記憶力、、、、スペシャル教育に数学だけ切り替えてもらったほうが良いのではないかと思った。オープンに彼にそのことを聞いてみると、「お母さん心配しないで来年度はもっとがんばってやるから。だって僕、進学したい。電気の学校に進みたいから。ここであきらめたら行けなくなってしまう。だからがんばりたいから。」って。はっとした。できない彼にイライラしているのは私。本人はできるようになりたいと思っているのだ。やりたくてもできないつらさを味わっているのは彼だ。私ではない。反省させられた。しかし、この気持ちさえ簡単に風化してしまうのが彼の持っている障害だ。家中に張られている覚書。それを見ることさえ忘れてしまう彼。親として彼と歩んでいくのも簡単ではない。自分を試されているそんな気分だ。
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